ポピュリズム -ブレグジットとトランプ現象をどう読むか? –

ポピュリズム -ブレグジットとトランプ現象をどう読むか? -  ポピュリズムとは議論を尽くすより大衆が喜びそうな発信をして支持を集める政治手法である。政治家が支持を集めるためには大衆が喜びそうな公約を訴えるのは当然である。しかし、ここに民主主義の矛盾がある。国民に媚びだけでは政治はできないのである。ポピュリズムの他の特徴として、エリート軽視や「反知性主義」が挙げられる。高学歴エリートが既得権益を有しており、それを打破する必要があり、大衆の味方を主張するのである。  米国トランプ大統領の演説手法はポピュリスト的である。煽情的なメッセージを根拠なしに繰り返すのである。単純明快な勧善懲悪的で差別的であるが大衆はそれを聞いて賛同と同一観を得るのである。  さて、ポピュリズムといえば、ファシズムと同じようなものであると混合されるがそうではない。ファシズムとはイタリア語の「ファッショ」(束ねる)から来…

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『見えてくるバプテストの歴史』のまとめ

第2章 バプテスト教会の誕生と17世紀のバプテスト教会の発達 第1節 イングランド国教会とピューリタン分離派 第2項 イングランドにおけるピューリタンと分離派 (1)ピューリタン運動 (2)ピューリタン分離派  ウィリアム・ロード(William Laud, 1573-1645 在職1633-1641)大主教はピューリタンを迫害した。 パティキュラー・バプテスト教会の土台となった教会の初代牧師ヘンリー・ジェイコブは1624年、信仰の自由を求め、アメリカ、ヴァージニアへ渡航しした。また、二代目の牧師、ジョン・ラスロップは1634年以降に信徒30人と共にニューイングランドに出航した。  ピューリタン分離派派は会衆主義的教会政治に固執し、主教政治による国教会を偽りの教会であるとし、国教会に留まり教会改革を目指すピューリタンであろうとも、国教会から完全に分離しない限り、偽りの教会に属する者として、…

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英国史から見るバプテスト派形成の流れについての少考察

 英国史を概観しながら、バプテスト派が形成されていく流れをこのレポートから学び、どのような社会や歴史の文脈から、自身が所属しているバプテスト教会が形成されて行ったのかを知りたい。   1.イングランド的宗教改革  ヘンリー8世(Henry Ⅷ, 1491-1547)から統治時代から始める。1509年ヘンリー8世は17歳で即位した。その年の6月に亡き兄の結婚相手であった、キャサリン(Catherine of Aragon,1485-1536)と結婚し、スペイン王室との連携を強めた。また、神聖ローマ皇帝(スペイン王)カール5世とフランス王フランソワ1世の争いにおいては、王妃キャサリンがカール5世の叔母でありハプスブルク家出身であり、カール5世を支援した。しかし、キャサリンから男子が生まれず、王位継承権が得られなかったため、キャサリンとの結婚を解消し、アン・ボーリンとの結婚を画策した。…

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「ピューリタン」とは

ぴゅーりたん Puritans  清教徒。エリザベス1世の宗教改革を不徹底とし、聖書に従ってさらに徹底した改革を進めようとしたイギリス・プロテスタント。その思想的背景はカルビニズムで、その改革運動は16世紀から17世紀に及ぶ。国教会(イングランド教会)にとどまり内部からの改革を志向するもの、それからの分離こそ改革の第一歩とするもの、ピルグリム・ファーザーズのように国外に脱出して理想を実現しようとするものがいたが、カルバン主義的改革を目ざした長老派を中心に、独立派、バプティスト派、クェーカー派、水平派、ディガーズ、第五王国主義者などの諸派に分かれる。彼らの改革運動は、礼拝改革から教会政治改革に移り、さらに政治的改革へと向かった。国教会の弾圧のなかにも説教運動やクラシス運動などによって共鳴者を増やし、ジェームズ1世時代には、彼らの要求によって『欽定(きんてい)訳聖書』(1611)が現れる。つい…

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アメリカとバプテスト史

今日からはアメリカのバプテストにうつる。教科書『見えてくるバプテストの歴史』は113ページから。年表は171ページある。参考文献は169ページ。 アメリカは移民の国である。アメリカの建国とバプテストとの関わり。舞台はアメリカ東北部ニューイングランド植民地である。1775年ごろ、マサチューセッツ(プリマス)からジョージアまで南下。北部にフランス語圏、西部にはフランス領ルイジアナ。フレンチ・インディアン戦争も勃発。他にスペインも広大な植民地を保有。マサチューセッツ(プリマス)から話は始まる。感謝祭11/23カボチャとターキーこれは英国からの移民の歴史と関わりがある。 英国には、王政、国教会がある。アメリカ合衆国には、議会、自由教会である。一般的には、アメリカには清教徒(ピューリタン)がやってきたと言われる。 メイフラワー盟約 1620年プリマス植民地と拓(ひら)く ピルグリム(分離派)ジョン・…

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オリヴァ=クロムウェル(1599~1658)

 ジェントリで熱心なピューリタンであり、独立派を率い、ピューリタン革命を指導、イギリスに共和制を出現させた。権力を握ってからは護国卿として独裁的な権力を行使したため、その死後は革命は後退し王政復古となった。  イギリスのピューリタン革命(1642~49年)の指導者。庶民院(下院)議員として議会派に加わり、指導者として頭角を現し、議会派の中の教会の独立と共和政を主張する独立派を率いて革命を達成、王政を廃止し、共和政を実現した後、護国卿となって最終的には独裁的な権力を握った。    クロムウェルは自ら「私は生まれながらのジェントルマンである」といっているように、裕福なジェントリとして生まれ、熱心なピューリタンであった。1640年ケンブリッジ市から庶民院(下院)議員に選出され、1642年に内乱が勃発すると「鉄騎隊」を編成し議会派の軍事力の中心となり、1644年のマーストン=ムーアの戦いで勝利を収…

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