英国史から見るバプテスト派形成の流れについての少考察

 英国史を概観しながら、バプテスト派が形成されていく流れをこのレポートから学び、どのような社会や歴史の文脈から、自身が所属しているバプテスト教会が形成されて行ったのかを知りたい。   1.イングランド的宗教改革  ヘンリー8世(Henry Ⅷ, 1491-1547)から統治時代から始める。1509年ヘンリー8世は17歳で即位した。その年の6月に亡き兄の結婚相手であった、キャサリン(Catherine of Aragon,1485-1536)と結婚し、スペイン王室との連携を強めた。また、神聖ローマ皇帝(スペイン王)カール5世とフランス王フランソワ1世の争いにおいては、王妃キャサリンがカール5世の叔母でありハプスブルク家出身であり、カール5世を支援した。しかし、キャサリンから男子が生まれず、王位継承権が得られなかったため、キャサリンとの結婚を解消し、アン・ボーリンとの結婚を画策した。…

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「ピューリタン」とは

ぴゅーりたん Puritans  清教徒。エリザベス1世の宗教改革を不徹底とし、聖書に従ってさらに徹底した改革を進めようとしたイギリス・プロテスタント。その思想的背景はカルビニズムで、その改革運動は16世紀から17世紀に及ぶ。国教会(イングランド教会)にとどまり内部からの改革を志向するもの、それからの分離こそ改革の第一歩とするもの、ピルグリム・ファーザーズのように国外に脱出して理想を実現しようとするものがいたが、カルバン主義的改革を目ざした長老派を中心に、独立派、バプティスト派、クェーカー派、水平派、ディガーズ、第五王国主義者などの諸派に分かれる。彼らの改革運動は、礼拝改革から教会政治改革に移り、さらに政治的改革へと向かった。国教会の弾圧のなかにも説教運動やクラシス運動などによって共鳴者を増やし、ジェームズ1世時代には、彼らの要求によって『欽定(きんてい)訳聖書』(1611)が現れる。つい…

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オリヴァ=クロムウェル(1599~1658)

 ジェントリで熱心なピューリタンであり、独立派を率い、ピューリタン革命を指導、イギリスに共和制を出現させた。権力を握ってからは護国卿として独裁的な権力を行使したため、その死後は革命は後退し王政復古となった。  イギリスのピューリタン革命(1642~49年)の指導者。庶民院(下院)議員として議会派に加わり、指導者として頭角を現し、議会派の中の教会の独立と共和政を主張する独立派を率いて革命を達成、王政を廃止し、共和政を実現した後、護国卿となって最終的には独裁的な権力を握った。    クロムウェルは自ら「私は生まれながらのジェントルマンである」といっているように、裕福なジェントリとして生まれ、熱心なピューリタンであった。1640年ケンブリッジ市から庶民院(下院)議員に選出され、1642年に内乱が勃発すると「鉄騎隊」を編成し議会派の軍事力の中心となり、1644年のマーストン=ムーアの戦いで勝利を収…

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バプテスト史 イングランドバプテストの発展・停滞・復興

 クエーカー教徒とバプテストの差はクエーカーは内なる光と聖書 、バプテストは聖書のみとした。クエーカーが1番初めに奴隷解放運動、黒人開放運動を取り組んだ。バプテストは近い主張であったために。クエーカーと競合することになった。  アナバプテストとは違うのだとパティキュラバプテストが主張したものがロンドン信仰告白である。共同の信仰告白である。今日の信仰宣言と似たようなものである。協同できる最大公約数を模索したものだ。バプテストは浸礼によるものであると定めた。 『見えてくるバプテストの歴史』p.51-(参照)  18世紀以降のバプテストはどうなったのかを記述。「バプテストは対抗軸によって発展してきた教派である」といえる。(金丸)イングランド国教会に対立する迫害される派閥。1685年ジェームズ2世が即位。王政の打倒。オリバー・クロムウェルは決起兵を組織、バプテスト派の人々は多数協力、しかし、この共…

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