オリヴァ=クロムウェル(1599~1658)

 ジェントリで熱心なピューリタンであり、独立派を率い、ピューリタン革命を指導、イギリスに共和制を出現させた。権力を握ってからは護国卿として独裁的な権力を行使したため、その死後は革命は後退し王政復古となった。  イギリスのピューリタン革命(1642~49年)の指導者。庶民院(下院)議員として議会派に加わり、指導者として頭角を現し、議会派の中の教会の独立と共和政を主張する独立派を率いて革命を達成、王政を廃止し、共和政を実現した後、護国卿となって最終的には独裁的な権力を握った。    クロムウェルは自ら「私は生まれながらのジェントルマンである」といっているように、裕福なジェントリとして生まれ、熱心なピューリタンであった。1640年ケンブリッジ市から庶民院(下院)議員に選出され、1642年に内乱が勃発すると「鉄騎隊」を編成し議会派の軍事力の中心となり、1644年のマーストン=ムーアの戦いで勝利を収…

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バプテスト史 イングランドバプテストの発展・停滞・復興

 クエーカー教徒とバプテストの差はクエーカーは内なる光と聖書 、バプテストは聖書のみとした。クエーカーが1番初めに奴隷解放運動、黒人開放運動を取り組んだ。バプテストは近い主張であったために。クエーカーと競合することになった。  アナバプテストとは違うのだとパティキュラバプテストが主張したものがロンドン信仰告白である。共同の信仰告白である。今日の信仰宣言と似たようなものである。協同できる最大公約数を模索したものだ。バプテストは浸礼によるものであると定めた。 『見えてくるバプテストの歴史』p.51-(参照)  18世紀以降のバプテストはどうなったのかを記述。「バプテストは対抗軸によって発展してきた教派である」といえる。(金丸)イングランド国教会に対立する迫害される派閥。1685年ジェームズ2世が即位。王政の打倒。オリバー・クロムウェルは決起兵を組織、バプテスト派の人々は多数協力、しかし、この共…

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