熊本市の閑静な住宅地にある慈恵病院。この病院は親が育てられない子どもを匿名でも受け入れる「こうのとりのゆりかご」いわゆる「赤ちゃんポスト」を国内で唯一設置しています。ゆりかごは熊本県内で相次いだ赤ちゃんの遺棄事件をきっかけに2007年5月に開設されました。開設当時は世間から「子捨てを容認するのか」「育児放棄を助長する」など批判を浴びた病院。14年で159人の子どもが預け入れられました。開設にふみきった当時の理事長は2年前に亡くなり、その意志はいま息子で現理事長の蓮田健さんに受け継がれています。父とは違うかたちで赤ちゃんとお母さんを救いたいと向き合う姿の裏には知られざる思いがありました。
赤ちゃんが可哀想…息子は開設に反対だった
慈恵病院の理事長で産婦人科医の蓮田健さん。「こうのとりのゆりかご」を開設した蓮田太二さんの長男です。当初、ゆりかごの開設に反対していました。 慈恵病院 蓮田健理事長 「熊本の小さな病院がゆりかごを設置して、はたして意味があるのかなと思っていた。世間からも批判を浴びたようにひょっとしたら安易な子捨ての助長になるのではないかと思いました。」 ゆりかごの開設後、健さんは預け入れられた赤ちゃんの診察にも携わってきました。なかにはお母さんからの手紙などがなく、名前どころか誕生日さえわからない赤ちゃんもいます。 慈恵病院 蓮田健理事長 「ゆりかごの赤ちゃんを診察するとき、数年間は憤りを感じていました。可哀想じゃないかって。人間の赤ちゃんは自分で歩いて生きていけないから、必ず誰かが保護しないといけない。赤ちゃんの親がいなくなり、赤ちゃんだけ一人ぼっちになった姿を見ていると最初つらかったですね。」 開設の翌年には1年間で25人の子どもが預け入れられました。平均すれば1か月に2人。目をそむけたくなるような現実でした。赤ちゃんの遺体が入れられたケースもありました。 慈恵病院 蓮田健理事長 「慈恵病院では毎日、お母さんが産んで『かわいい』と喜んでくれる赤ちゃんが何人も生まれてくる。幸せな親子の出産に携わるのが日常だった私にとってショックでした。ゆりかごの赤ちゃんの遺体をよく見ると、鼻か口から小さなウジがはい出てきた。人間の遺体の尊厳がなかったように感じました。」
ゆりかごに預け入れるなんて赤ちゃんが可哀想。そんな健さんの考えが変わったのは、ゆりかごに来るお母さんたちと接したからです。匿名でも預け入れられますが、母親の中には扉の前でじっとたたずんでいたり、後日電話がかかってきたりしたケースもあります。なぜ預け入れたのか話しを聞くと、孤立する女性たちが抱える問題が浮き彫りになりました。お前を産まなければよかったと虐待を受けた人、ボロボロの服で来て子どもを育てる金がないと言う人、行政からの支援だけではやっていけないと告げる人も…。預け入れた女性たちは自分には生きる価値がないとこぼしました。 慈恵病院 蓮田健理事長 「誰が悪いという感じではないのがわかります。赤ちゃんのお母さんもきついけど、祖母もきつかったとか…。虐待などの生育歴による“家族の負の連鎖”を感じます。誰かを叱るとかではなくて、子どもを育てることができないお母さんがいたら、社会がかわりに赤ちゃんを育てる。できればお母さんのお世話も手伝う。社会がそうやって手を差し伸べるのが理想だなと思います。」
ゆりかごだけでは赤ちゃんの遺棄事件はなくならない
育児放棄を助長するという世間の批判を受けながらも「ゆりかご」の開設にふみきったのは、2006年に熊本県内で起きた赤ちゃんの遺棄事件がきっかけでした。 健さんの父で前理事長の蓮田太二さんは、赤ちゃんの遺棄事件に関する記事を読み「なぜ助けられなかったのか。自分はただ傍観者に過ぎなかったんじゃないか」と、事件を防げなかったことを悔やみ、「ゆりかご」の開設を決意したといいます。 その後も、後を絶たない赤ちゃんの遺棄事件。 ―――なぜ赤ちゃんを殺してしまった女性たちはゆりかごを頼ってくれなかったのか。 当事者の話しを聞きたいと健さんは病院スタッフと手分けして数年前から全国をまわり、赤ちゃんの遺棄事件にかかわる裁判を傍聴しています。法廷に行けば手錠をかけられて証言台に立たされる被告の姿。時として裁判官や検察官から辛らつな言葉をかけられる様子に胸が痛みました。なにより、生きることができなかった赤ちゃんが一番不幸だと感じました。 慈恵病院 蓮田健理事長 「どうすれば赤ちゃんの遺棄事件を防げるのかなと裁判所から帰りながらよく考えました。そうすると、やっぱりゆりかごではダメだと思いました。赤ちゃんの遺棄事件とゆりかごは紙一重です。そういった意味では内密出産の方が事件の防止に役立つと思っています。」 裁判になった女性の中には自宅で出産して死産だったケースもあり、産婦人科医として母子ともに安全に出産できる環境を提供したいと強く思うようになりました。そうして始まったのが、名前を明かさずに病院で出産ができる国内初の「内密出産」です。 内密出産は母体に何かあった場合の責任を病院が背負うことになり、出産後に預け入れるゆりかごよりも遥かにリスクが高くなります。それでもゆりかごの開設にふみきった父と同じように迷いはありませんでした。 ゆりかごよりも内密出産の方が母子の命を守れる。もっと言えば病院が寄り添っていく中で名前を明かして特別養子縁組するほうが赤ちゃんにとってもいい。健さんはゆりかごがあっても使われない社会を目指して様々な選択肢が必要だと考えています。 慈恵病院 蓮田健理事長 「父が始めたゆりかごを自分が引き継いだ責任を感じています。ゆりかごや内密出産で母子の役に立ちたいですし、悔いがないようにしたい。最近、突っ走るところや頑固にやるところが父に似てきたなと思います。父には一生追いつけないだろうけど、これからの私を見ていただけますか。」