選挙は、一般的に、一定の組織や集団から投票などの手続に従い、代表もしくは特定のポストにつく人を選出する過程である。それは一国の元首から小学校生徒会選出にまである。政治的に重要なのは行政府の首長や立法府の議員の選出である。
国民にとって、選挙は代表選出と政治的指導者選出の過程であり、それぞれの候補者や政党が掲げる政策の選択過程でもある。そして、同時に、それまで政党や政治家がしてきた事に対しての審判の機会であり、さらに政治と民意のずれを正す機会でもある。
候補者にとって、選挙は当選を目指しての集票過程であり、権力掌握への過程でもある。政党も、ほぼ同様なことが当てはまり、首長確保や、より多くの議席を獲得するための集票過程であり、権力掌握過程である。そして候補者と政党双方にとって、選挙はそれぞれが訴える政策の正当化、権力掌握の正当化の過程でもある。議会選挙から見ると、選挙は社会における諸利害の対立を議会内の党派の対立に置き換える過程とも言える。
政治は、人間の公共生活あるいは共同生活に必要な業務の遂行や問題の処理を表す言葉として理解されている。政治を「集団の政策決定過程」とみる見方、あるいはそれに類した規定の仕方が一般的に行われている。この場合の「集団」はもちろん国家や地方自治体にとどまらず、いろいろな社会集団や、国内的、国際的団体を含む。また「政策決定過程」とは、広義には目標の選択、目標達成方法の決定、そしてそれらの実施あるいは実行の全過程を表す。
国民にとって、選挙は政治に、影響を与えることができる数少ない機会であると考える。選挙において、どのような基準で候補者を選ぶべきであるかについて優等生的な回答は政策を比較検討し選ぶべきであると言うものである。しかし、国民は実際のところ、政策で候補者を選んでいるのであろうか。2020年3月の朝日新聞の調査は『(「支持する」と答えた人に)その理由は何ですか。(選択肢から一つ選ぶ=択一)政策9%▽改革の姿勢や手法27%▽人柄や言動22%▽これまでの知事よりもよい39%』[1]という結果であった。有権者は、政策で選んでいない。人柄やこれまでの知事より良いという漠然とした理由で、政治家を選んでいる。有権者は、選んだ政治家の人柄や今まで政治家より良さそうということを直接知ることは困難である。そこで、政策で選ぶことの困難さについて考える。
投票者は候補者の政策を洗い出し、優先順位や得点をつけて、高得点の方に投票するという“正しい”投票行動はしない。投票者は、現在話題になっている問題を全て整理し、候補者の政策のもたらす結果について十分な情報を持つことはできない。
他には、業績投票という考え方もある。与党の議員については現在の暮らし向きが良ければとりあえず評価しもう一度その与党議員に投票すると言うものである。ただし、どこまでが政府の政策のおかげであるかを調べる必要があり、普通はそこまではしない。
先程の朝日新聞の調査でも、政策で政治家は支持されというわけではなかった。そうなると、人で選ぶという解決策が別に考えられる。間接民主主義を取る場合、政治家には一定の裁量に基づいて政策を議会で決めることができる。信頼できる代表に議会で自由に討論して政策を決めてもらうというのは合理的な考え方であり、人で選ぶというのも悪手ではない。ただし、人で決めるというのも難しさが存在する。本当に、その人が信頼に足る人であるのかは分からないのである。
注文すべきは、最大の割合になった、「これまでの知事よりもよい」という支持理由である。報道されるようなことを起こさなきゃもうどうでも良いという有様である。政策に基づいて投票するのも難しい、政党の看板も曖昧になりやイデオロギー対立も存在しない。この状況は選挙と政治に、直接の便益を感じなくなったということも考えられる。投票行動によって自身に直接便益が得られるのは、ごく少数である。便益が得られないと感じる世代は政治と行政は税金だけ持っていく忌々しい存在であり、選挙と政治参加を辞めたいと考える層である。政策が良く分からないNHKから国民を守る党が議席を得ることも考えるとやけっぱち投票を行う層が増加している状況である。次回の衆議院選挙では、本質に戻り、政策と国民にどのような便益をもたらしてくれるのか説明してくれるような政治家を選びたいものである。
参考文献
北山 俊哉 (著), 真渕 勝 (著), 久米 郁男 (著)『はじめて出会う政治学―構造改革の向こうに』2009、 有斐閣
[1] 朝日新聞 2020年03月24日 朝刊3面(社会)