田沼意次


田沼意次(1719-1788)は印旛沼・手賀(てが)沼の大規模干拓事業など新田開発を積極的に試みた。最上徳内(とくない)らを蝦夷地に派遣し、蝦夷地開発やロシア人との交易の可能性を調査させた。徳川(いえ)(はる)が死亡すると老中を罷免され失脚した。


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