見えない性別二分法カリキュラム
一般的に学校では他の社会領域に比べ、男女平等の原則が守られていると思う人が多い。確かに、職場や政治などの領域に比べて、公立学校において、見えるカリキュラム上の男女平等を実現しようと努力がなされている。それに加え、学校文化や教師や生徒との日常的なやり取りの中には、男女を区別し、男子を優先させるような言動を隠れたカリキュラムとして可視化することが試みられてきた。学校には、制服・髪型などの校則規定・体操服・運動会などの行事・式典・係や委員会の分担・体育実技などにおいて、性別二分法が用いられている。二分化された子どもたちは隠れたカリキュラムを通して、それぞれの分類にふさわしい特性や役割を期待されているというメッセージを受け取る。さらに、男女のペアを基本単位として強調されるときには、異性愛が自然であるというメッセージも伝達されている。職場や地域社会において、性別二分法が強制されることはそれほど多くないにも関わらず、学校現場において、性別二分法が多用されることは、ジェンダーを再生産する機能を果たして来たと考えられる。近年、セクシュアル・マイノリティーの立場からも批判が加えられている。自分の性別に違和を覚える子ども、自分が同性愛的指向を認識する子どもたちにとって、性別二分法は葛藤や苦痛を感じさせるものである。
制服略史
制服は、学校が強制し、男女に明確に差がある服である。男子の学制服は官吏の服装を基準としていたため、官吏の服装を基準としていたため、官吏の服装が羽織袴から洋服に変化するに伴い、和装の書生姿から洋服に移り変わった。そのとき、軍服がモデルとされ、1880年代以降、黒色詰め襟、金ボタンの軍服を模した学制服が男子の学制服として定着した。女子の制服は、明治当初は男性同様の書生姿が見られたが、鹿鳴館時代には洋服制服に、そして再度和服に戻りなどした。そして、大正時代には機能性を重視した海兵の服装を元にセーラー服が作られた。最終的に、男女ともに洋裁制服が定着したが、そのスタイルには差があった。男性の制服は、ほとんど軍服と同様で活動的かつ剛健なスタイルであった。それに対し、女性の洋裁制服の典型であるセーラー服は、海軍の制服がモデルとはいえども、リボンに、波打つ形のスカートなど柔らかな形にアレンジされたものであった。乱暴な動きには適さないようにアレンジされたセーラー服は清楚な女性美を表現するものであり、一方、男性の堅苦しい制服は、凛々しい男性像を表現するものであった。男女によって異なる学校制服は学校が理想とする男女を目に見える形で制度化したものと考えられる。
ジェンダー配慮がなされた制服
学校制服に代表されるような、ジェンダーを強調するような隠れたカリキュラムを強制することを是正する試みが求められている。身近な例ではあるが、福岡市教育委員会は、2020年度から、各学校が採用するかによるが、市立中学校の標準服(制服)を生徒の希望でズボンかスカートなどが選べるようになった。男女に関係なく、ズボン、キュロット、スカートのいずれを着るか選べる。性的少数者(LGBT)への配慮の必要性など時代の変化に合わせるため、福岡市教育委員会は約70年にわたり大半の学校で使われてきた詰め襟とセーラー服の標準服を一新させる方針を決め、検討委員会を複数回開催し、承認に至った。福岡市教育委員会生徒指導課の内田久徳課長は「生徒の声を大切にして、誰もが快適に着られる標準服になった」と語っている。[1]
約70年間も、標準服を事実上強制してきて、やっと自由に選択ができるようになったというのは、小学校のランドセルの色は、男子が黒色、女子が赤色というのが、一般的であった状況から、色とりどりのランドセルが10年程度で見られるようになったことに比べると対応が遅いと思うと感じるが、やっとの変化であると評判をしている。
制服が自由に選べるようになったとしても、それにより、他の生徒があまり選ばない組み合わせの少数派の標準服を着る生徒が、多数派の標準服を着る生徒に萎縮する、いじめが生じる状況になることがあったら本末転倒である。そのために、ジェンダーフリー教育やその基礎となる人権教育を充実させる必要がある。さらに、教師自身が標準服のスタイルや男女やLGBTも含め、無知であることにより、見えない差別的なカリキュラムを提供しないように、知識を仕入れ、価値観をアップデートし続ける必要がある。
参考文献
刈谷剛彦・濱名陽子 他 (2010)『教育の社会学』有斐閣アルマ
「西日本新聞」
[1] 2019/05/15 西日本新聞朝刊